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サラリーマンとアパート大家の二刀流のともにぃです。

ともにぃのプロフィール

はじめまして、ともにぃです。

このページでは、少しだけ僕の話をさせてください。

特別すごい経歴があるわけではありません。
でも、不器用なりに歩いてきた道があります。

不器用だった少年時代から、自分の強みに気づくまで

 

小学校低学年のころ、私はよく先生に怒られる子どもでした。
落ち着きがなく、忘れ物も多く、やるべきことを後回しにする。
通信簿には「横着者」と書かれ、自分は「ちゃんとしていない人間なんだ」とどこかで思い込んでいました。

しかし高学年になると、少しずつ変化が生まれます。
勉強が少しできるようになり、「できない側」ではなくなりました。
スポーツでは2軍の1位という中途半端な立ち位置でしたが、チェスだけは違いました。
作戦を考え、静かに積み重ねることに強みがあると気づいたのです。

中学時代は荒れた空気の中、目立たず静かに過ごしました。
成績は中の上。トップでもなく落ちこぼれでもない、目立たないポジションでした。

高校では野球部に入り、部員が少なかったこともありレギュラーに。
強豪ではありませんでしたが、毎日の練習を通じて「継続する力」を身につけました。

さらに、英語の先生との出会いが転機となります。
授業が自然と理解でき、英語の成績が向上。
「できる」という感覚を初めて味わい、それが他教科にも波及しました。

不器用で要領が悪いと思っていた自分でしたが、
考える力、継続する力、そして自分に合う学び方に出会えたことで、
最終的に公立大学へ進学することができました。

大学時代 ― お金と向き合い始めた日々

 

大学に進学すると、新しい出会いがありました。
その中でも大きかったのが、「株に詳しい友達」との出会いです。

彼は経済ニュースを読み、企業分析をし、将来性を語っていました。
それまでの私は、お金について深く考えたことがありませんでした。

「お金は働いて稼ぐもの」

そんな単純な認識しかなかったのです。

しかし彼の話を聞くうちに、
「お金にも働いてもらう」という考え方があることを知りました。

私は株を買うために、アルバイトをたくさんしました。
飲食店、イベント設営、単発バイト。

正直、楽な仕事ばかりではありませんでした。
でも「投資資金を作る」という目的があったから、頑張れました。

初めて自分のお金で株を買ったときの緊張感は、今でも覚えています。

値動きに一喜一憂し、
利益が出れば嬉しくなり、
損をすれば落ち込みました。

そこで学んだのは、
お金の世界は感情との戦いでもあるということでした。

チェスで学んだ「先を読む力」。
野球で身につけた「継続する力」。

それらが、少しずつ投資の世界でも活き始めていました。

初めての大きな挫折 ― 信じた先の倒産

大学時代、アルバイトで貯めたお金と、株で得た利益。

少しずつ増えていく数字を見るのが嬉しくて、
私はその資金を〇〇証券の投資信託に預けました。

「プロに任せれば安心だろう」

そう思っていました。

ところが、その会社は突然倒産。
預けていた資金は、ほとんど戻ってきませんでした。

頭が真っ白になりました。

必死に働いて、節約して、増やしたお金。
その時間ごと消えたような感覚でした。

このとき初めて、

「会社だから安心」という幻想
「任せきりの怖さ」

を思い知りました。

社会人一年目 ― 甘い言葉に揺れる

 

就職して東京で暮らし始めたころ。

満員電車に揺られながら、何気なく目に入ったつり革広告。

「〇〇牧場オーナー制度 年利10%」

その数字が強烈に刺さりました。

10%。

銀行預金とは比べものにならない利回り。

「少しだけなら…」

そう思い、試しに投資を始めました。

過去に痛い経験をしているのに、
高利回りという言葉に、また心が動いたのです。

若さだったのか。
焦りだったのか。
それとも取り戻したいという気持ちだったのか。

今思えば、
“うまい話”に期待したい自分がいたのだと思います。

22歳から42歳まで ― 長く続いた“成功体験”

 

22歳で始めた〇〇牧場への投資。

正直、最初は半信半疑でした。
しかし結果は、予想に反して順調でした。

配当はきちんと支払われ、
大きなトラブルもなく、気づけばそれが当たり前になっていました。

20年間。

22歳から42歳まで。

それは、私にとって「投資はうまくいくものだ」という
一つの成功体験を積み重ねた時間でもありました。

最初の証券会社の倒産という失敗。
それを取り返すかのような安定。

この20年が、後の判断に大きく影響することになります。

38歳 ― 新たな扉を開く

38歳のとき、ふと目にしたマンション投資の広告。

「老後資金」「家賃収入」「資産形成」

その言葉が気になり、資料請求をしました。

数日後、担当者から連絡がありました。

落ち着いた声。
論理的な説明。
将来設計を一緒に描く提案。

牛の投資で長く成功体験を積んでいた私は、
どこかで「自分は投資を見る目がある」と思っていたのかもしれません。

担当者との面談を重ねるうちに、
マンション投資は“堅実な選択”のように思えてきました。

・生命保険代わりになる
・節税効果がある
・インフレ対策になる
・年金の補完になる

どれも、もっともらしく聞こえました。

そして私は、
次の一歩を踏み出すことになります。

マンション投資 ― 期待と違和感

 

担当者との面談を重ね、私は決断しました。

マンションを2部屋購入。

当時は「将来の安心を買う」という感覚でした。

最初の数年は、確かに悪くありませんでした。
減税効果があり、確定申告の数字を見ると「得をしている」感覚もありました。

しかし、徐々に違和感が生まれます。

毎月の手出し。

家賃収入はあるものの、
ローン返済・管理費・修繕積立金で消えていく。

「節税にはなっている。でも、お金は増えていない。」

むしろ、持ち出しがある。

これは本当に“資産形成”なのだろうか。

牛の投資のような「入ってくる感覚」とは違う。
株のような値動きの期待とも違う。

何かが、違う。

その小さな違和感が、次の行動につながります。

アパート投資との出会い

そんなとき、目に入った広告。

「一棟アパート投資」

今度は区分マンションではなく、
建物まるごとオーナーになる世界。

資料請求をしました。

届いた資料には、

・満室想定利回り
・キャッシュフロー表
・土地付きという安心感
・自分でコントロールできる自由度

区分マンションでは感じなかった
「事業」という言葉の匂いがしました。

私は初めて、

“投資”ではなく
“経営”という視点で不動産を見ることになります。

ここから、本当の意味での挑戦が始まります。

一棟目の決断 ― 加速する自信

牛の投資で資金は順調に増えていました。
長年の実績が、通帳の残高という「信用」になっていたのです。

アパート投資の融資相談に行ったとき、
銀行の反応は思った以上に前向きでした。

自己資金もある。
これまでの投資履歴も問題ない。
返済計画も現実的。

結果は――スムーズにローン審査を通過。

「思ったより簡単だった」

それが正直な感想でした。

そして、一棟目を購入。

満室想定の利回り。
毎月入ってくる家賃。
通帳に並ぶ数字。

区分マンションで感じた“手出しの違和感”とは違い、
今度はキャッシュフローが見える形で残る。

「これが本当の不動産投資かもしれない」

そう思いました。

二棟目へ ― 勢いという魔物

一棟目が形になったことで、
自信は確信へと変わり始めます。

銀行との関係もでき、
追加融資の話もスムーズ。

二棟目も、思ったより簡単に話が進みました。

一棟目を買うときは慎重だったはずなのに、
二棟目はどこか勢いがあった。

「拡大すれば、収入も増える」

数字上は、そう見えました。

しかし同時に、

・空室が出たらどうなるか
・修繕が重なったらどうなるか
・金利が上がったらどうなるか

その現実も、少しずつ見え始めます。

投資が「事業」に変わった瞬間でした。

規模が大きくなると、
利益も増えるが、責任も増える。

ここから先は、
順調な拡大か、試練の始まりか。

物語は、大きな分岐点に入ります。

東日本大震災 ― すべてが揺らいだ日

 

2011年、東日本大震災が起きました。

テレビに映る映像は、現実とは思えないものでした。
街が流され、人々の生活が一瞬で変わる。

遠くの出来事のようでいて、
やがてそれは、自分の足元にも及びます。

〇〇牧場。

長年投資を続けてきた事業が、
風評被害の影響を受け始めました。

直接的な被害だけではない。
「不安」という見えない力が、
事業をじわじわと追い込んでいきました。

そして――倒産。

22歳から続けてきた投資。
20年間、順調に見えていた成功体験。

そこに積み上げていた、結構な資金。

その多くが、消えました。

通帳の数字が減るというより、
自分の時間が消えた感覚でした。

二重の責任

そのとき、私はすでにアパートを2棟所有していました。

ローンは残っている。
家賃収入はある。
しかし、心の余裕は消えていました。

牛の投資で積み上げた「自己資金」という土台が崩れた。

もし空室が増えたら?
もし修繕が重なったら?

今まで“攻め”だった投資が、
一気に“守り”へと変わります。

成功体験は、自信にもなるが、
過信にもなる。

この震災は、
お金のリスクだけでなく、
「集中投資の怖さ」
「見えないリスクの存在」
を教えてくれました。

失ったものと、残ったもの

〇〇牧場の倒産で、
長年積み上げてきた資金の多くを失いました。

20年という時間。
順調だと信じていた投資。
「これで老後は安心だ」と思っていた土台。

それが一瞬で崩れました。

正直、頭の中は真っ白でした。

「またゼロか」

22歳のころの証券会社倒産が、フラッシュバックしました。

それでも、崩れなかった理由

しかし今回は、違いました。

私にはアパートがあったのです。

毎月入ってくる家賃収入。
入居者がいる限り、止まらないキャッシュフロー。

牛の投資は“出資者”でした。
アパートは“経営者”。

この違いは、大きかった。

資金は減った。
でも、収入の柱は残っていた。

アパートのおかげで、
生活が一気に崩れることはありませんでした。

「資産とは、残る仕組みのことだ」

このとき、初めて腹の底から理解しました。